このあいだとうきょうでね

青木淳悟『このあいだ東京でね』(新潮社)を読み始める。


青木淳悟は『四十日と四十夜のメルヘン』で新潮新人賞野間文芸新人賞を取り、
「クレーターのほとりで」が三島賞の候補作となった脅威の新人。


……だったのが、もう4年前か。


その最新作は中短編集。


正直なところ「クレーターのほとりで」で衝撃を受けてしまっているので、
アア、アノ青木淳悟ノ作品カーと思って読み始めたからそこまでの衝撃はない。
けれど、だからと言って感想書かないで済ませられるかというとそんなことはなく、
とりあえず表題作である「このあいだ東京でね」を読んでオオと感嘆してしまった。

ある程度人生に見通しを立てた複数の人間が東京都内に新たな住居を探し求めていた。


という一文で始まるこの作品。
複数の人間=彼ら=住宅購入希望者の話である。
彼らは新たな住居を捜し求めるために
いろいろな条件を考え、いろいろな夢想をし、
そこにいろいろな都市風景が描かれていく。


金額の話、ローンの話、距離の話、タクシーの話、
そしてまたローンの話、間取りの話、蛍光管の話。


主語が省略されたまま当て所なく、話はふらふらと続いていく。
本の中に入り込んで読んでいる間は一定距離を取っていないと、
この小説が「家を探す話」であることを忘れてしまい、
いったいこの話はどこに進んでいるのかわからなくなってしまう。


自分は読んでいる間に、迷子になってしまった。


それでもとりあえずフシギなグルーヴに包まれたこの物語を
読みとめることはできなくてふらふらと読んでいくと、
突然、「私」が浮上してくる。

その日東京駅丸の内口を出た私は、駅前の「丸ビル」と「新丸ビル」の高層建築を打ち眺め、
歴史的建造物たる「東京駅」の赤煉瓦を振り返ってから、やたらと風の強いなかを皇居へ向けて歩き出したのだったが、
「お濠にうつかって右」という交差点をうかつにも渡ってしまい、もう一本先のとおりを右に折れたのである。


ああ、そうだった。
これは家を探すお話だったんだと思い出す。
自分は迷子ではなくなったんだ。
よかったよかった。


そう思っていると、


今度は「私」が道に迷ってしまう。

まさかこんなところで道に迷うとは思わなかったし、他人にもそう思われたくなかったので
こうして濠端をしばらく歩いていったのである。
どこか取り付く島もないようなほど広々としたこの都市景観の底の地面を。


どこか取りつく島もないようなほど広々としたこの都市景観を書いていった小説は、
やはりどこか取りつく島もないようなほどの広さをもったもので、
まさかこんな小説で道に迷わされるとは自分は思わなかった。


道に迷いついでにもうしばらく青木淳悟を読んでいることになると思う。


オススメは大変しづらいのだけれど、ちょっとオススメ。